2014/05/16

Proper Torture Techniques, Vol. 8の日本語訳

TESOに登場する書籍"Proper Torture Techniques, Vol. 8"(UESPリンク)の日本語訳です。


愛、定命の者の弱点
苦悶の女公爵 著

効果的な拷問の手法として愛を用いることについての論文

 定命の者が持つ心理の中でも特に我々を当惑させる、その奇妙な感情の形態は愛として知られている。一人の定命の者が、もう一人に対し不合理で無条件の好意を装うというものである。かのような状態は陛下の領域の住民には知り得ず、概念そのものが異質で、拷問官は大いに理解に苦しむ。この情緒的性質に浸り、精神状態を模倣する手段とすることで、拷問対象を我々の意志に屈するように操ることが可能となる。

 愛とは、強大な力そのものである。定命の者はその力を用い、偉大な英雄的功業を為すことができるのだ。では愛とは、抽象的概念に対しても向けられるのだろうか?帝国への愛、個人が信ずる神への愛、故郷への愛とは?これらの感情の形態は比較的軽薄で、我々の拷問で用いるには効果が少ない。抽象的概念へ対する愛を操ることは、平和な時代に定命の者の感情を捻くれさせるのにこそ役立てども、拷問部屋で情報を引き出すには用をなさない。

 愛を効果的な拷問の手法に取り入れたいのならば、定命の者が他者へと向ける愛こそが最大で、格段に効率的で有効である。抽象的概念への愛は定命の者の心の内にのみ存在するのに対し、他者への愛は身体領域にまで及び、魂に作用する。例えばある定命の者が、パン職人としての自分の仕事を愛しているとする。しかしその愛を定義するのは単体ではなく、精神領域の内部で複雑に事象が絡みあい、愛情を形成している。しかし息子が母に向ける愛の場合は、彼にはたった一人の母しか存在しない。もし彼からそれを奪い去れば、愛が存在していた空間には空虚が残されるのみとなる。このような定命の者同士の愛を利用して、有能な拷問官は効果的に定命の者の魂を痛めつけるのである。

 さて、ここに疑問が残される。どのように、定命の者が他者へと向ける愛を拷問の手法として用いるのか?その答えは、拷問を受ける魂とその愛情が注がれる相手との関係によって決定される。身内へと向けられる家族愛ならば、最も有効的な構想は喪失である。母親が子を愛しているならば、それを失うことには耐えられないだろう。子供の姿を母に見せた後に奪い去るのはどうだろうか?死、または誘拐を用いては?実に効果的な拷問方法となるだろう。友人間の愛ならば、絶対的な裏切り行為を見せつけるか、あるいはその友人の為に公然と裏切りを働かせるのが最良の方法である。

 ある者と精神的にあるいは肉体的に結ばれたいが、その愛が満たされないというという密かな欲求を持った定命の者と相対する場合、どうするべきだろうか?彼らが呼ぶところの「報われぬ愛」をどう取り扱うか?その場合、拷問官は愛情を誘惑的で強力な道具として利用できる。

 定命の者の取るに足らない自尊心と、自らの願望を満たしたいという不毛な欲求は、彼らの特徴のひとつだと定義される。そのあまりにも短く無意味な生涯において、己の目標を達成するという意欲が原動力になっている。定命の者の満たされぬ欲望をほんのわずかでも充足させることは、例えそれが内容を伴わない偽りであったとしても、彼らの願望の本質を誘惑し、根本的な感情を揺さぶるだろう。拷問官が犠牲者からこれらの本能を呼び覚ますことができれば、拷問の成功は保証されたも同然である。

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